耶馬渓 羅漢寺

万 千 百 園(まちおえん)



羅漢寺及び周辺地域の観光案内





羅 漢 寺


             静寂に包まれた古刹
                羅 漢 寺

荒々しい岩山、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺は、
645年(大化元年)に、 インドの僧、法道仙人が、
この岩山の洞窟で修行したことから開基された寺で、
羅漢の総本山といわれています。
境内には無漏窟(むろうくつ)(五百羅漢窟)があり、
様々な表情をした五百羅漢などが安置されています。



五 百 羅 漢


               五 百 羅 漢
             (国指定 重要文化財)

1359年(延文4年)、逆流建順という僧がこの地を訪れ、
昭覚禅師と共に僅か1年で五百羅漢の外、釈迦如来、普賢・文殊の両菩薩、
十大弟子、十六羅漢、四天王など七百余体の石像を建造しました。
1360年10月14日の竣工記念には博多、聖福寺の月堂禅師を請い    
開眼供養をおこない、集まった僧侶は一千余人といいます。
尚、2014年8月21日、五百羅漢像等、羅漢寺石仏が国の重要文化財に 
指定されています。



山  門


                 山   門

室町幕府の三代将軍、足利義満により建立されたといわれています。
扁額の「耆闍崛山(ぎしゃくつせん)」は羅漢寺の山号で、
禅宗の黄檗の三筆の一人、即非和尚が1666年(寛文6年)
羅漢寺を参詣した際に書いたとされています。



五 百 羅 漢 入 口 付 近


         五 百 羅 漢 入 口 付 近

沢山のしゃもじが印象的です。
しゃもじに願い事を書いて置くと救ってくれます。
(左記写真は、耶馬渓リフト提供。)



千 体 地 蔵


              千 体 地 蔵

寺伝によると、室町期に普覚禅師(ふかくぜんじ)という高僧が
この千体地蔵と十王尊を刻み安置したとされ、
納められている石仏の数は、1100体以上を数えます。
また、舞台が設置されたのは、1860年(万延元年)で
千体地蔵が安置されてから約500年後のことです。
(左記写真は、耶馬渓リフト提供。)



羅 漢 寺 リ フ ト


             羅 漢 寺 リ フ ト

羅漢寺へは、参道を徒歩で約15分位ですが、
便利で快適なリフトもあります。
山里の風景を満喫できます。
料金等、詳しくは、耶馬渓リフト(TEL:0979-52-2515)へ
お問い合わせ下さい。
(左記写真は、耶馬渓リフト提供。)



仁 王 門


                 仁 王 門

室町時代に建立され、門の天井には当時の将軍、足利義満よりおくられた  
「羅漢護国禅寺」の扁額があります。



羅 漢 寺 古 道

                 羅 漢 寺 古 道

門前から羅漢寺への旧参道で、俗に百間馬場ともいわれ、
山門までの石畳は610mあります。
杉や檜などの巨木に囲まれたたたずまいは往時を偲ばせます。



古 羅 漢 の 景


                古 羅 漢 の 景

真正面に羅漢寺山を背負うようにして一段低く屏風を広げたように、      
岩峰が壁のように連なっているのが、古羅漢です。
飛来峰の巨岩、天人橋の洞窟、東側の巨石に刻された毘沙門天の魔崖仏、 
最北端の巨岩上にたっている国東塔などがあります。



競 秀 峰


                競 秀 峰

秀を競うかのように八つの岩が連なる競秀峰。その雄大な景観は、
耶馬渓を代表する景勝地です。



青 の 洞 門


                青 の 洞 門

菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で名高い青の洞門。
江戸時代、諸国遍歴の旅の途中この地を訪れた禅海和尚は
ノミと槌だけで、長さ約342メートルの隧道を
30年もの長い歳月をかけて完成させました。



耶 馬 渓 橋


               耶 馬 渓 橋

別名オランダ橋と呼ばれる耶馬渓橋は、
わが国唯一の8連アーチの石橋です。
全長116メートルの長さは日本一。
その美しい姿は、周囲の景観と調和し独特の風情を醸し出しています。


羅漢寺概略   羅漢寺略歴  時代  人物
 645年天竺(インド)より渡来された法道仙人が、
この地の地形が釈迦牟尼仏の聖跡 耆闍窟山を
彷彿させるところに感じ、久しく、この洞中に
留まられました
去るに当って念持仏として奉持された金銅仏一躰
を残されたのが羅漢寺の開基とされています
平安時代には山岳仏教の霊地として天台宗の
時期もあったようです
 羅漢寺開基
645年

平安時代
山岳仏教の霊地として
天台宗の時期あり
 仏教日本伝来
538年


飛鳥時代
6世紀末
〜710


奈良時代
710〜794
 聖徳太子
574〜622


達磨 インドの僧
6世紀初め中国に禅宗を伝える
少林寺で9年間壁に向かって
座禅をし、さとりを開いた
 耆闍窟山羅漢寺

円龕昭覚が羅漢寺を開く
臨済宗
   平安時代
794〜1192
 最澄
766〜822
比叡山延暦寺
日本 天台宗の開祖
           円龕昭覚 禅僧

豊後国 田染郷の出身
1338年、羅漢寺を開く
13歳の時、鎌倉 寿福寺(臨済宗)に入門
修行ののち故郷へ帰る途中、
豊前国の大岩屋に十六羅漢図を安置
そこを耆闍窟羅漢精舎と名付け、
岩下に庵を構えて「幻住庵」と呼んだ 
これが現在の羅漢寺
その後、山の麓に末寺「睡龍山智剛寺」を建立
して隠棲した
出雲国、雲樹寺8世住持の羅漢玄峰昭覚とは
円龕昭覚の事で逆流建順とは兄弟弟子の関係
 1338年
円龕昭覚が
羅漢寺を開く
臨済宗
 鎌倉時代
1192〜1333


建武の新政
1333〜1335


室町時代
1336〜1573
 空海(弘法大師)
774〜835
高野山 金剛峯寺
真言宗開祖


栄西禅師
1141〜1215
日本 臨済宗の開祖
             逆流建順

出雲国、雲樹寺の歴代10世住持
1359年、円龕昭覚のもとを訪れ
五百羅漢の造立を発願
 五百羅漢の外、釈迦如来、普賢、文殊の両菩薩、
十大弟子、十六羅漢、四天王など
七百余体を僅か一年で完成
1360年10月4日に博多、聖福寺の月堂禅師を
導師として慶賛供養
 1359年
五百羅漢 造立

1360年
五百羅漢 完成
 南北朝時代
1336〜1392


戦国時代
1493〜1573
 道元禅師
1200〜1253
曹洞宗大本山
永平寺 開山
日本 曹洞宗の開祖
            羅漢護国禅寺

室町幕府三代将軍、足利義満より
羅漢寺の名と額を賜る
室町幕府、守護大内氏、宇佐神宮などから
厚い保護を受け豊前における
禅宗の拠点寺院として発展 
以来、臨済宗26代を経て、
       (戦国の戦乱により衰退??)
   安土桃山時代
1573〜1603


江戸時代
1603〜1868
 瑩山禅師
1268〜1325
曹洞宗大本山
總持寺開祖
           曹洞宗 羅漢寺

1600年に長州深川(山口県)大寧寺より
鉄村禅師が曹洞宗として復興
中津城主、細川忠興は羅漢寺に深く帰依して
寺領を寄付
江戸時代には東照宮をまつり徳川家より百石を
給され、三葉葵の紋章と十万石の格式を許される
又、曹洞宗2代伝宿玄宅禅師は細川三斎公に
招かれて熊本に行き、水前寺の開山になる

     羅漢寺の大開基は足利義満公
     中興大開基は細川忠興公
 1600年
鉄村禅師が復興
曹洞宗


1943年(昭和18年)
類焼により本堂焼失

1969年(昭和44年)
本堂再興
 明治時代
1868〜1912


大正時代
1912〜1926


昭和時代
1926〜1989
 足利義満
1358〜1408
羅漢寺の大開基


黒田官兵衛
1546〜1604


細川忠興
1563〜1646
羅漢寺の中興大開基
 2014年(平成26年)8月21日
羅漢寺石仏が国の重要文化財に指定される
 2014年(平成26年)
国指定重要文化財
 平成時代
1989〜
 福澤諭吉
1835〜1901


上記、写真及び説明文は、中津市本耶馬溪支所の資料を基に作成しました。
その他、詳しい情報は中津市のホームページをご覧下さい。
中津市ホームページ内の地域の情報から本耶馬溪町をクリックして下さい。


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